アイデンティティーの危機
- 2012年08月16日 |
- ■韓国のこと |

お立ち寄りくださりありがとうございます
昨日は終戦記念日でしたね。
パワーバランスを取ろうとする政治家たちの判断の遅れにより、終戦前の3ヶ月で数十万人の命が失われたとか。
あらためて・・・決断力って大事ですね
決められないってこわい。
さて。
語学ネタで、こんな感じ で、あれやこれやとハングルをこねくりまわして(笑)いたところ、
mikantaさんは、どうして韓国語ができるの?という質問を受けました。
そんなことから、時期も時期ですし、ちょっと振り返って書いてみようと思います。
韓国では、8月15日は特別な意味があることをご存知でしょうか。
日帝35年の支配から解放された独立記念日という位置づけです。
光を取り戻した日ということで、光復節と呼ばれます。
私は9歳から3年間、父の仕事の都合で、ソウルに住んでいました。
韓流ブームなんて、夢のまた夢。
文化統制などもあり、日本のものは入ってこない時代でした。
(ベランダにパラボラアンテナつけて、日本の衛星放送を受信しちゃっていたけれどね)
8月15日は身を潜めて過ごす日。
私にとって、8月15日はそんな日です。
当時の市井の日本人の無念の死には心が痛みます。
国内でいまだ戦争が終わっていない場所があることに対しても。
他方で、対東アジアという視点から見ると。
土地を奪い、名前を奪い、言語を奪い。
そういう扱いに耐えて過ごした人々の35年を思い、私はまだ9歳でしたが、本当にいたたまれない気持ちになりました。
それまで、そんな歴史を知らなかったことが申し訳なく(といっても、冷静に考えると生後9年なんだけど)、
日本人であることが恥ずかしく、日本人でいつづけることも苦しい。
9歳にして、アイデンティティーの危機です
だからこそ、韓国人と話すときは、日本人だと思われないよう。
歴史を学び、文化を学び、言語を学び、韓国人らしい韓国語を、と思って生活していたのでした。
なので、好きか嫌いかという問題ではなさそうです。
もちろん、ハングルやりたい、とか、なんとかさんが好きなの!といって、韓流エンタメに興味を持ってくださる方が増えたりするのは、嬉しいです。
どうぞやってください、どうぞみてくださいと思います。
でも。
私にとっての韓国というのは、「償い」の対象だったのだろうな、と最近思いました。
一人の日本人として、過去の歴史を知り、自分にできることは何か考える。
自分にできることをすることで、韓国の誰かもしくは何かが癒されるのだとしたら、
多分自分も救われる。
・・・贖罪という言葉がしっくりきますね。
と、言い切ってしまうのも、おこがましい気がするけれど、
きっと、そんなようなものなのでしょう。
たとえば誰かに「韓国好きだよね」と言われたときに、その言葉が、自分自身にとってものすごく違和感があったのは、こういう理由だったようです。
小学生にしては、いろいろ背負っていましたね
そして今まで背負い続けてきましたね
しょっているとは思っていなかったけれど、しょっていたよ(笑)
政治的ないろいろはよくわかりませんし、完全な私見で恐縮ですが、
だいたいこの時期に、なにやらきな臭い騒動がよく起こるのは、
「忘れていないのを知ってほしい」ということなのではないかと思っています。
いじめっ子はやったことを忘れてしまいますが、いじめられた方は赦しても覚えているものです。
それが、いじめっ子にとっては、ほんのささいなことだったとしても。
こちらが「知っています、わかっています」っていうのが伝われば。
「ちゃんと自分たちも理解されている」という感覚を持ってもらえたら。
もうちょっと違う風に動いていくのではないのかなぁ、と思ってみたりしています。
どこかで書いた気がするのですが、
私は、無知と無関心が減れば、世の中は変わると思っています。
そんなことも、無知と無関心を恥ずかしく思った、過去の自分を救う作業なのでしょうね。
思いのほか、マイアイデンティティーを深く掘り返すことになってしまいました
読んでくださり、ありがとうございます