受験と親子関係
- 2012年07月01日 |
- └ 受験と自立脳 |

お立ち寄りくださりありがとうございます
友人の「ひとつの答え」アトピー完治のためのいわじまいちゃん が、
なんと、我がブログをご紹介くださいました
まいちゃんとの出会いは、1月。
そこから今日まで、さなぎが羽化するように、大変身を遂げるまいちゃんを見てきました。
そして、まいちゃんとの会話でびっくりしたこと。
受験もアトピーも親子関係が関係しているかも!?
私の場合、学校の受験の結果だけ見れば、石ころにもつまずいていないように見えるかもしれませんが、
あちこちで失敗もしています。
就職がなかなか決まらなかったり、
デキる人たちに囲まれて、やってもやっても伸びなくて、自分は何のためにこの場所にいるのかと思ったり。
まわりが1ぬけ2ぬけしていく中で、自分だけが同じ場所に取り残される焦燥感と挫折感。
自分に必要な経験だったと今は思えていますが、
やはりそのときそのとき、とても苦しい経験でした。
同級生が大活躍する中、なにものでもない自分。穴があったら入ってずっと身を隠していたい。
そんな気分になることは今でもあります。
そういうときに、親が「やってくれたこと」より、「やらないでいてくれたこと」の方が、
とても重要であることに気づきました。
実は私、大学受験の時、ずっと慶應はE判定だったのですよ
A判定からE判定まであるうちのE判定(笑)・・・一番上がA判定です。念のため。
12月末の慶應オープンという模試ですら、やっとD判定。
私は初めてのD判定に「やった~~~!」という気分でしたが、
いやいや、Dですから。めっちゃ遠いし
でも、最終的には誰もが驚く奇跡の合格。さらに、受験した他の大学は全滅。
判定なんか当てになりません。
とはいえ、当時親がワタワタ心配して、
「あそこも受けたら?ここも受けたら?」なんて言っていたら、
この結果もなかったであろうと思います。
普段模試の成績なんて報告しないのに、D判定だったことに小躍りしてうきゃうきゃと報告した私に、母は「あら~よかったわね~!」と。
(冷静に考えたら、12月末にD判定なんてオワッテルんじゃ?と思うけれど)
そして、合格を報告したときの母の最初の言葉。
「補欠?」
いやいや母上!一応正規合格でしたから!!!
・・・こんな感じでございました
勉強、受験、その他試験などについては、完全にまかせられていたわけですが、
そうはいっても、我が家の親子関係も決して完璧なわけではなく、
勉強以外のこと、特に生活面では過干渉気味であったし、
現在でもなんとなく意に沿うであろうことを想定して行動をしてしまう面が私にもあります。
そういうわけなので、それを勉強にあてはめてみると、親子関係が受験にとっていかに重要であるかがよくわかります。
さらに、受験指導でたくさんの子を見てきた経験から、少なくとも学校の成績、大学までの学校の受験に関しては、子どもの可能性は無限だという確信があります。
中学受験の小学生、
高校受験または内部進学をめざす中3生、
大学受験の高3生、
学校の成績を上げたい受験学年以外の子たち。
どの子も絶対に成績はあがります。
というか、あげてきました(無理矢理・笑)。
でも、その先。
成績を無理矢理上げることはテクニックとしてはできたとしても、
そこからどういう人生を選ぶかまでテクニックとして教えることはできません。
(そもそも勉強を教えている方も人生に迷いつつ生きている状態でそんなことまで教えられないし)
だからこそ、重要な親子関係。
子どもの可能性は無限です。
もしそれが無限でないように感じられるのだとしたら、
お父さま、お母さま
お子さんを信じてみてください。
子どもは敏感です。
言葉にしなくても、親が何を望んでいるのか、何を望まないのか、感じ取って実現しようとするところがあります。
どんなに小さな子でもです。
そして、子どもを心配がる(日本語おかしい?)あまり、あれこれ手を出し口を出し、そんなことをしていたら?
ご両親には、手や口ではなく、目と耳と心を使っていただきたい。
そして、手や口はご自分自身のために使っていただきたいと思います。
自分で考え、自分の人生を自分で切り拓く魅力ある子あふれる世の中になりますように
mikantaをご紹介くださったまいちゃんの記事。
「きっと、これから、突出した個性を磨きあげて、世に出ていくと思われる方です。」
ですって
きゃ~うれし~
・・・でも、そんなすごいことがわたしにできるのかしら?
まずは、突出した個性探しから・・・←根本的(笑)