結果を目指すって必要?
- 2013年02月20日 |
- ├なりたい自分になるコツ |

お立ち寄りくださりありがとうございます
お姉さまからのお題の3つめ。
わたくしmikakoにとって、
「決めること」「結果を目指すこと」「結果を出すこと」の関係はどんなことになっているのか。
これが、最初の「決めること」で、予想外に長くなってしまいましたので、
本日はその続きです。
決めるのお話はこちらです→決めるってどういうこと?
それで。
まったくもって、個人的な見解ですが、
今日は、結果を「目指す」という段階は、はたして必要なんだろうか?
というお話。
目指さなかったら結果がでないんじゃ?思われるかもしれませんが、逆です。
ゴールから考えてみましょう。
目指すことにエネルギーを使わなければならないような目的なのか。
「決めること」の次の段階、「結果を目指す」というのは、「過程」ということだと思うのですが、
この位置づけは私にとっては、あまり大きな意味をもちません。
なぜなら、試験の受かり方やなにやら、あちこちで書いているように、
「結果を出す」ために行うことは、
ゴール分析と現状分析を行ってその隙間をうめる作業なわけで。
ゴールが自分にとって本当に欲しい結果なのであれば、そこを「目指す」のは当たり前。
「目指す」ことについて、何らかの動機付けが必要なのであれば、
目的とする「結果」を練り直したほうがいいんじゃないかくらい思ってい ます。
(わたしみたいに、うっかり間違っちゃったりすることもあるしね)
もちろん、人によっては、目指すことについての動機付けが必要な方もいるわけで、
それについては、最初の「決める」に戻ってもらうとか、ビジョンを見るとか、
上行ったり下行ったりといった反復をして、輪郭を明確にすることが必要だと思います。
「結果を出す」の「結果」の輪郭がどれだけ具体的に明確にできているかが、
目指すことの動機付けになると思うからです。
あとは。
「目指す」というのは、積み重ねですので、
その地味な積み重ねに耐えうるだけの精神的なキャパシティも必要です。
それは、設定した結果が自分のキャパ+ちょっとアルファかどうかに関わります。
目指すに動機付けが必要なのだとした ら、あまりに大きなプラスアルファを付け加えていないか、という点も吟味が必要かと。
どこかで書いてますが、
あまりに大きなものだと、マイルストーンが見えなくなりますので。
でも、あまりに小さなものだと、自分の世界からちょっと足を踏み出してみるには、突破力が足りません。
ここでもバランス感がものを言いますね。。。
そんなわけで。
結果を「目指す」こと自体に重きをおくくらいなら、
もしくは、「目指す」ことに、たくさんのパワーが必要なら、
ちょっとそこから離れてみて、
足元を固めるか、先を見据えるか、どちらかの作業にエネルギーを使ったほうが、
欲しい未来に近づきやすいような気がしているmikakoでした。
一番大事なのは、
やり方よりあり方だけどね
…と、ごちゃごちゃ書いてきて、なんだか、以前書いた、夢ってなんだろう。にどこかでリンクしている気がしてきましたよ
うまく表現できないですが。
あ。「表現できない」で最近思ったことがあります。
「表現できない」からって、言語化しないでいると、
いつまでたっても、表現できない自分が続くのだよね。。。ということ。(たいへん)
なので、ちゃんと言語化してみよう。
うーんと。
これは完全に個人的な感覚の問題だということが、
言語化しようと思ってみて今わかりました
私がたいして大きなこととは思っていないことについて「夢」といわれたときと、
なにかを「目指している」のだね、といわれたときに感じる違和感がすごく似ている
そこかい(笑)
日本の社会構造を変えるくらいの話だったら「夢」かもしれないし、
そこを「目指す」というのは、なんとなくわかる。
…というくらい、私は、夢と目標のお話でいうと、
「夢」認定してよいはずのものを「目標」レベルと認識して、せっせと頑張るのに、
マイルストーンが遠くなりすぎて迷子というパターンを今までたどってきましたよ
自分がどちらの傾向が強いのか。
そんなことを分析してみると、なりたい自分へ向かうステップづくりにも違いが出てきますね
というわけで、
結果を出すことの重要性
結果の意味
そして、「決める」と「目指す」と「結果を出す」の関係性
そんなことについて、書いてきました。
たぶん、どれもこれも、なりたい自分になるためには、
一度は考えたほうがいいようなことでしたね。
いいお題をいただきました
着地できたのかは・・・やや不安がありますが、千里とmikakoの往復書簡、
これにて、いったんとじさせていただきます
長々と読んでくださったみなさま、どうもありがとうございました