子どもの幸せを願うなら。
- 2012年11月03日 |
- ├使命について考える |

お立ち寄りくださりありがとうございます
親というものは、たいていの場合、
ありがたいことに、
無条件で、子どもの可能性を信じ、
応援してくれるものではないかと思います。
以前、私が
「親になったとしても、自分の身の程は自覚しているので、自分以上のものは望みません。」
と書いたら、
東大脳育成コーチ谷あゆみさんから、
「子どもは自分を超える存在、すごい可能性 がある!!と思っていただきたいな~」
というメッセージをいただきました。
わたくし、それで、
って思ったのです。
可能性を信じているからこそ、
期待もする。
未来を託したくもなる。
(そして、時には間違った方向に頑張ってしまったりもする)
それがわかるから、
子どもは一生懸命頑張る。
喜んでもらいたいから。
喜んでもらえると自分が嬉しいから。
だけど、その期待に添えない結果となったとき。
結果につながる選択肢が閉ざされたと思うとき。
子どもは、親の希望を叶えられなかった「自分に」失望します。
親が考える以上に深く。
そして、そうなってはじめて、
親の望む未来を生きようとしていたことに気づくのだと思うのです。
私の場合は親ではなかったけれど、
まったくこの通りのことが起こりました。
渦中にいるときは、望む未来を生きようとしていたなんて思わなかったけれど、
時がたってみたらわかる。
私は、一度自分でした選択を諦めて、
託された未来を実現することに一生懸命になっていました
それが仮に実現できていたら、
きっと、託された未来を自分で選んだものとして、何の問題もなく生きていたのだろうと思います。
だけど、そうはならなかった。
そうして、進む道がわからなくなり、何年もの間迷子になって暗闇の中をさまよいました。
今ならその理由がわかります。
自分で決めた道を諦めたからです。
希望は希望として理解したうえで選んだならまた違ったでしょう。
でも、そうではない場合、選んだ結果に自分で責任を持つこともできなくなります。
…自分の人生に無責任だなんて、もったいなすぎる
いい子ちゃんは、敏感な子です。
親が口に出さない念()まで汲み取ります。
だからこそ、歯車がほんの少し合わなかったときに、
お互いがお互いを思ってやっていることが、かえって苦しい状態をもたらす、
なんていう事態が起こりうる。
…お互いがお互いを思っているのに苦しいって、おかしな話ですよね
「過去と他人は変えられない」という言葉を聞いたことがありますが、
こと、親子関係においては、
変えられる前提で話が進むことが多いような気がします。
(他人じゃないからかしらね)
でも、
子どもも親も苦しくない親子関係。
子どもが親の希望を叶えるのではなく、
子どもも親も、それぞれ自分で自分の人生の舵取り
ができる親子関係でいられたら、
挫折して自殺する子は少なくなるんじゃないかしら。
在り方次第で、いくらでもお互いに幸せな状態でいられるはず
そして、過去は変えられないけど、
選び直せる
んです
幸せの形はいろいろだけど、
子どもが人生を諦めたくなったときに、親が救い
になるような関係、
そんな関係でいられる親子がいっぱいの社会の実現に、子どもの立場から貢献したいと思います
テクニックじゃなくて、本質的なところでね
なんだか話が大きくなりすぎた…気がするね
谷あゆみさんからのメッセージのお話はこちらです。
→自立脳その後の後