人生8.5? 核心はココに
- 2012年03月03日 |
- ├なりたい自分になるコツ |

お立ち寄りくださりありがとうございます
下手な連続ドラマの続きです
昨日のお話 は、自分軸ってなあに?というお話でした。
揺ぎない自分軸が定まっていると、迷いなく選択決定できるんだね!という発見をした
というところで終わりました
そして、こちら で登場したこの言葉
「結論。
私は人生を8.5で終えたい(10点満点)のだ、ということです。」と書いている、
この8.5。
これが、なんと華本科で私がお休みした回まで、議論にのぼるという異例の事態に!
私の軸は 8.5の自分になれるどうか
ということです。
だから、何かを決定する場合も、
「これを10年20年続けた場合に、8.5の自分に近づけるかどうか」とか
「これを選んだら8.5の自分に近づくかどうか」という視点から、のるかそるかを決めます。
…「決めます」とか書いてるけど、自分にとってこれが大事だったんだ、って発見してくれたのは美寿子師匠です
これがわかってから約2ヶ月。
重要な決め事で、迷うことがとっても少なくなりました。
で、まず、8.5とはなんぞや
これねぇ。
これがなかなか難しい
たとえば。 輝いていたい とか。 充実していたい とか。 豊かな人生が送りたい とか。 幸せな生活がしたい とか。 そういった一般的に耳にする希望のようなものは、my8.5(笑)にはまるっと含まれています。 しかも当然の前提( なので、8.5をこしょこしょ それでご質問は、なぜ8でも9でもなく8.5なのかというところ。 「それなら私10点がいい」といわれたこともあります。 でもね、そんな簡単に10になるような10は、私は要らないんです。 そんな10は求めてないし、 そんな簡単に10になるような10は、私の中では、5に届くかどうか、という程度。 その程度であれば、多分今までに自力で手に入れてきたと思うのです。 もちろん、人それぞれなので、私の考える6が、ある人にとっては10かもしれないし、 私の考える10が、ある人にとっては7程度かもしれない。 でも、具体的に何がどうなったら10とはいいがたいけれど、 わたしにとっての10は、そう簡単には到達できないような、とっても遠い存在です。 そして、9だと、生きてる間に達成するのはやや厳しいかもしれない 8だと、まだもうちょっといけそうな気がするので、限界を区切ってしまうのは惜しいような というわけで、びよーーーーーーんと飛んで イメージで言うなら、10が数千kmも先の針の穴 8だと、100km先のりんご いや、このイメージがいい例えなのかどうかすら、もはやわからなくなっておりますが 美寿子さんは、慶應院・東大院をえらくほめてくださいますが、 同級生たちがヒトカドの人物になっている中、なにものにもなっていない自分というのは、とても不安定で 学校いっぱい出たからって8.5にはなりません(断言・笑)。 とはいえ、 美寿子さんも「8.5は『暗号化したミッション』、本人にしかわからない、でも本人にはわかる生き方の指標です」とおっしゃってくださっているとおり、 これはわたしの物事を選択する基準なので、 わたしがこの基準で誰かを判断するということはありません おぉ、ここにきて、母に小さい頃言われていた「人は人なのよー」というのが活きていることが判明 (「だって○○ちゃんは~~してるもんー 『暗号化したミッション』ってかっこいー ポッシブルなミッションにせんと 「8.5」があまりに例にとりやすくって~と言ってくださる方もおられたので (私の8.5ワールドを世界ではじめて言語化&図解化してくださいました! その素晴らしい世界初の図はこちら )、 なんとなく、ピンとくる方にはピンとくるワードのようです 今後も、8.5で人生を終えられるかという視点で、なりたい自分になっていこうと思います このブログともども、よろしくおつきあいいただけますと嬉しいです …ご質問くださった方々の疑問に答える形になっていましたでしょうか なにかございましたら、お会いできる方は数時間後、リアル華本科でお話できればと思います 長々とお読みくださりありがとうございましたあらゆる希望を全部もりこんだ価値観の総体
とでもいえばよいのでしょうか
つまり・・・
)として。
と解きほぐしていくと、そういうちょっと具体的でわかりやすい言語となるんではないかしら?という気がしています
どうにかたどり着けたら満足かも~~~
という地点が8.5。
だとすると、8.5は数百km先の米粒
みたいな感じ?
とか。
」というのが口ぐせだった当時の私・笑)
!
というわけで、なぞの8.5のお話でした~
A4で3枚くらい書いたよ、多分