おばあちゃんの知恵。
- 2012年08月09日 |
- ■意識 考え方 |

お立ち寄りくださりありがとうございます
語学のお話はちょっと延期で。
私が小さい時から、無意識に意識していた(なんかへんだぞ)こと。
急に思い出したので、書いておきます。
それはね。
他人の批評をしない
噂話にあけくれない
おばあちゃんの知恵です。
父方の祖母は、とても賢い人でした。たぶん。
全く名前と一致していませんが、あだなは「こうちゃん」。由来は「おりこう」だそうです(笑)
私は、サンスウがとても苦手で、他の科目の2倍やらないと、同じレベルにならないくらいだったのです
そんな私が、半べそかきながら、なんとか算(流水算とか植木算とか鶴亀算とかそんなもの)をやっていたら、横から登場して、「mikaちゃん、それ、ちょっとやらせて」と持っていってしまう。。。
おばあちゃん!持っていかれちゃったら、私、宿題できないし!!!
そんなおばあちゃん
頑固さmaxだったのですけどね
「ああいえばこういうこうちゃん」と孫たちの間で言われていたことも
いつも私の本質を鋭くつく友人に、「君は、『うんうん』って感じ良ーく聞いてるけど、結局決めたら曲げないよねー」と言われたので、
「3代さがってこの程度まで薄まったのよ」って言ったら、
「3代でこの程度か!」と驚かれたことがあります
話を戻します
祖母は、人がする噂話には、「そうなのね?」と聞いていたけれど、
どんなにまわりが噂の嵐だったとしても、
決して自ら噂話を流したり、他人の批評をしたりしない人だったようです。
・・・「ようです」というのは。
嫁である私の母が、「おばあちゃんのすごいところはね」と言って、
そういう祖母であることを、私に小さいころから聞かせていたから。
そんな母も当然のように、誰さんがどうしたこうしたということには全く興味がなく。
どうしたこうした言うときは、「すごいのよ~」と、自分の感動をお知らせしたいときだけ
私が、他人の批評ばかりする人、誰さんがどうしたこうしたを異常によく知っている人が得意でないのは、こんなところに原点があったのかも。
批評という形でなくても、たとえばブログなどで、とっても良く書いているので、本当に良いと思っているのかと思いきや、
実際に会ったときには、あれってどう思う?なんてことを言う方は・・・とっても怖いので、残念ながらこっそり心の距離を置かせていただきます(笑)
もちろん、私も、こういうのってどうなんだろう、って思うことはあるし、
それをどなたかに話すことはあります。
でも、誰かにそういう話をするのは、ご本人に対しても自分の考えをお伝えできるときだけ。
そして、誰かが誰かを批評しているのを聞く場面に出くわすこともたくさんありますが、
自分自身がご本人に対して、同じことをお伝えできない場合には、
おばあちゃん方式で「ふんふん、そうなのねー」と聞いておくか、
「どうなんでしょうね?」と言いつつ、心の距離は、とっても遠いところへ
あちこちで書き散らしていますが、
比べるべきは昨日の自分だと私は思っています。
書き散らしの一部はこちら→自分に何ができるか悩んだときは。
昨日の自分より、今日の自分。
今日の自分より、明日の自分。
どんなに小さくても、自分の望むその先の未来へ一歩進めていることが大事なのではないかと。
他人のうわさや批評に明け暮れるヒマがあったら、
その時間をもっと素敵なことにつかわないともったいない!!!
と思ってしまうのです
そういう対応をしていると、
自分のまわりも、不思議と、そういう方ばかりになっています。
私のまわりには、
小学校の同級生に始まり、中学高校・大学・大学院の同級生、それ以外のいろんなご縁で知り合った方たち、
真摯に自分の人生と向き合って、前を進む、尊敬すべき方たちが多くて、私は本当に幸せです。
時には、心の距離を置いておきたい方がずいぶんと近くまでいらっしゃることもありますが(笑)、
それはそれとして、ありがたく学ばせていただいております
なんとなく思うところがあったので、おばあちゃんの知恵、書いておきました。
実は、おじいちゃんの知恵もあるんだよ
母方の祖父のお話です。そのうちこのお話、どこかで戻って書くかもしれませんので、
また遊びにいらしていただけたら嬉しいです