お部屋と脳内。
- 2012年09月27日 |
- ■つれづれ |

お立ち寄りくださりありがとうございます
以前、わたくし、モノの捨てどき。という記事で、
「いらないものが色褪せて見える」
と書いたことがあります。
・・・そして、読み返してみたら、既に4月に職場が色褪せて見えていたようだよ
書いた頃は、かなり葛藤していたようだけれど、軍配はすでにあがっているような
(・・・世界中に向けて衝撃の告白)
モノの捨てどき。はこちら→☆
それはともかく。
その後に、だんしゃりをはじめまして、だいぶ捨てたのです。→そのときのお話はこちら
しかしだ。
ちょっとすっきりしたかと思いきや、
隙間があいたところに、また詰めて(物理的にも精神的にも)。
またぱんぱんに。。。
これって性分なのでしょうかね、隙間があくと、テトリスのように詰めたくなるのは。
そういえば、テトリスとかDr.マリオとか(なつかしい)そんなのが大好きでした、わたし。
それでですね、最近、ずっと部屋で探しているものが3つほどあるのです。
そんな広くない部屋なのに。・・・ない。
捨ててないはずなのに。・・・ない。
そうやって探しているときほど、「これはまったくいらないんじゃないか」と、
探している場所場所すべてに対して思う。
そして、あらゆるものが色褪せて見える。
で、思いました。
今の私の脳内を見てるみたいだ。。。
いらないであろうとは思うのに、その確信が持てなくて手放せない。
抱え込んでいるから、入るものも入らない。
手放すのも、ほーんの少しずつ。
そして、手放した隙間にまた入れるから、身動きが取れなくなる。
むむむ。
このところ書く頻度が落ちていたのも、脳内がすごいことになっていたからです。
そして、お部屋の中も
秋休みもらって、がっさりごっそり片付けたいくらいだよ。
なんてわかりやすいわたし
ただ。
今回思ったことがあります。
だんしゃりには、段階があるのかも。
ちまたでよく言われているような、
心惹かれるもの/そうじゃないけど一事保存しておくものにわけるとか
そういうことではなく。
精神的な段階のお話です。
だんしゃりしてすっきりできるのは、精神的にだいぶ整理されているから。
もしかしたら当たり前の話なのかもしれないのですが、
内心の整理がうまくいっていないと、判断がかなり鈍ります
そして、だんしゃりを進めるごとに、判断の鋭さがどんどん要求されていくような気が。
つまり、一回だんしゃりを終えるごとに、その終えた段階がゼロ地点になるために、
次のだんしゃりでは、最初のだんしゃりの時より、不要なものの判断のシビアさのレベルが上がるような。
・・・わたしだけ
そうすると、脳内整理がうまくいっていないと、捨てられない状態に陥る。。。
前のだんしゃりとは、全然違った状況になっているような気がしてなりません
とはいえ、
これはいかん、と思ったときほど、甘やかさずに負荷をかけるとキャパがあがるので。
(やりすぎると、6月のようにおかしなことになってしまうので、わたしのようにストッパーが効かない傾向にある方は注意が必要ですが)
感覚を研ぎ澄まして、判断します。
快適な住空間を手に入れるために(笑)
逆もありですよね、きっと。
無理矢理お部屋をどうにかしたら、思いのほか脳内も整理されるかも
わたくし、お皿洗いとか、お台所のシンクやガスレンジを磨くの大好きなのです。
なのに、この部屋の状態はなんだ
・・・と思って、よくよく考えてみたら、
お台所は、自分の判断が不要なくらいゼロ地点がはっきりしていて、
そこからずれていたら、元の状態に戻すことが当たり前になっている。
ということは、やっぱりいらないものが多すぎなんだね。。。
お部屋のお片づけは、ゼロ地点がずれるもの
そして、そうはいっても迷うということは・・・脳内か、やはり
ぐるっとまわってもとに戻ってきた感がありますが(笑)、
お部屋と脳内、どうやら密接な関係がありそうです。