欲しい未来って?
- 2012年11月22日 |
- ├なりたい自分になるコツ |

お立ち寄りくださりありがとうございます
つい数日前に、
欲しい未来は今どこにあるんだろう、そんなときの方法論を書きました。
ずっと先を見ることができるだけの心もちになった状態のときに有効だと思われるものです。
そして、
10月のはじめあたりには、それよりもうちょっと手前の段階。
疲れ果てて消耗しているとき、
暗闇の中でどこを向けばいいのかわからないとき、
そんなときの私の決めごとを書きました。
では、もっともっと手前の段階。
じっとしてみているけど、欲しい未来がいつまでたってもわからないんですけど。。。
そんなときのお話です。
…ここまで書いて、ゴールから手前に戻るという方法論を使用していることにまたもや気づく私![]()
テクニックじゃないんだけどなぁ、本質は。。。
個の立ち方について考えたときに、
「そこが得意なんだろうけど、そこじゃないんだよー、もっと本質をみてー
」って自分に言い聞かせているのに![]()
まぁよい、気を取り直して
じっとしてみているけど、欲しい未来がいつまでたってもよくわからない場合。
私の場合は、2008年から2010年あたりがそんな状態でした。
暗闇状態は一向に変わらないのだけど、とりあえずむやみに動くことをやめ、
先のことはとりあえず置いておいて、目の前にあることだけをやろうとしてみました。
だけど、目の前の出来事を少しずつ進めたところで、何にも変わらない。
ずっと景色は暗いまま。
物理的には進んでいるんです。
昨日できなかったことができるようになったり。
使えなかった言葉が使えるようになったりしている。
でも、精神的には進んでいる気がカケラもしない。
これね、目に見えるものはちゃんとそれなりに進んでいるのに、
精神的になーんにも変化した気にならないというのは、相当しんどかったです。
これだけやっても何も変わった気にならない。
じゃあ何をどこまでやれば、変わったと思えるんだろう。
そう思い続けて、精神的に進んだ気分を味わえないまま、
物理的に進むための作業だけをひたすらひたすら進めました。
そうすれば、何か見えるかも、と思って。
私の性格を知ってる方ならお分かりかと思いますが、私が「やった」というときは、かなりやってます(笑)
でもね、やっぱり何も変わらなかった。
で、そのときは、最終的に無理やり環境を変えてしまったので、
あとから気づいたというのが正確なんですが。
原因はほかにありました。
あのね、そのときは、こんなことはみじんも考えていなかったのですが。
…
…
自分にうそをついていましたよ。
…というのが、後でわかったという衝撃
目的としていたものが、ほんとはたいして欲しくなかったようである
ということですね。
人間というのは不思議なもので、ある環境で、目的が同じ人たちが集まったりする場合に、
どうやら、自分も同じ目的をもって動いていると錯覚することがあるようです。
錯覚と書いていますが、当時は、錯覚とすら思っていなかったよ。。。
私の欲しい未来もそこにあるもんだと思っていたものね。。。
いや、もしかすると、それ自体は欲しい未来だったかもしれないんです。
自分で決めることができていたなら。
でも、そこに、かなりのひっかかりがあったがために、そこまで欲しくないものになってしまった…のかどうなのかは、ちょっとよくわからないけれど。
私が、「ごまかさない」としょっちゅう書いているのも、こんなところに理由があります。
思いもよらない答えが自分の中に潜んでいる可能性があるから。
そしてね、こんな原因があるときは、だいたいにおいて、
先へ進むための方法論の方向性が微妙に違っていることが多いです。
なので、「物理的に進んでいる」と先ほど書きましたが、
進んだ「ように見えている」というのが正しいですね。
(言葉は正確に使いましょう
)
欲しい未来がいつまでたってもわからないとき。
なんとなく思い描く未来がしっくりこないとき。
自分にうそをついていないか?
うそとまでは言わなくても、そこに何か妥協や打算がないか?
それがほんとに欲しい未来なのか?
心の奥底に、特に欲しくないという声を封じ込めてないか?
そんなことを自分に聞いてみると、ハッ
となることがあるかもしれません。
欲しい未来がわからないときの、あとからわかった方法論でした![]()
こんな書いてますけど、つい最近私も、なんだかうっかり迷子になりましたよ。
軸がずれてる!って修正してくれた方がおられました。
ありがたや、ありがたや
カレンダーどおりの方々は三連休ですね。
なぜこんなに疲労しているのかわかりませんが(壮大な夢を見たからだろうか
)、三連休の響きに
ものすごい期待感を込めてしまっております![]()
みなさまよい週末をお過ごしください![]()

